視察報告-浪江・川崎

出張者:秋広正健・森山きよみ・ふじくぼ博文・大森忍・中原ちから・平山タカヒサ

【日程】   平成28年5月24日 
       午後1時~2時30分 

【場所】   浪江町役場(震災前の本庁舎)

【対応者】  浪江町議会議長・浪江町総務課長

【調査事項】 
(1)東日本大震災後の現状(帰町、除染、仕事の確保、
   職員のモチベーション他)と課題、展望など
(2)福島第1原発事故及び原発に対する町民の意識

【内容】
≪はじめに≫
 浪江町は海と山と川に囲まれ自然に恵まれた風光明媚な町として、歴史と伝統を大切にし、水産資源などを生かした漁業など賑わいのある町であった。(震災当時の人口 21,434人、7,671世帯、面積223.14㎢)

 

≪発災≫
①2011年(平成23年)3月11日 14:46東日本大震災発生。震度6強の揺れと15mを超える津波が発生。6㎢が浸水し、全壊家屋651戸(流出586戸、地震65戸)、約1000事業所が被災、死者182人(内行方不明31人、家屋倒壊の圧死1人)の被害。     

②同時に発生した東京電力福島第一発電所事故については、2年後の平成25年5月29日に浪江町が東京電力を相手取って、原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)への和解仲介手続申立書に詳細に記載されている。立地自治体ではなかった浪江町が東京電力と原発のトラブルに備えて通報連絡協定を結んでいたにもかかわらず、何の情報も伝えられなかった。3月12日、津波被害者の捜索に向かおうとした矢先、テレビで10㎞圏内の住民に避難指示が出されていることを知り、庁舎を含め10㎞圏外への避難を20㎞離れた町西部の津島地区へ避難を決定した。同日18時25分に20㎞圏内の住民にも避難指示が出されたことをテレビで知り、同圏内の住民にも避難指示を出し、津島地区は8000人を超える避難者であふれた。浪江町へは政府、福島県、東京電力のいずれからも連絡はなかった。翌14日に3号機、翌15日には4号機が爆発し、大量の放射性物質が大気に放出された。浪江町は、度重なる原発事故と情報不足による混乱を受けて、15日さらなる遠方の二本松市への避難を決定した。後日わかったが、東電が事故翌日の3月12日の1号機爆発以前から津島地区方向のモニタリングポストで放射線量を測定していたが公表や伝達をしなかった。また、文部科学省も浪江町津島地区など放射線レベルが極めて高いことを知っていたが、町へ通報しなかった。これらの事は、住民の生命財産を守る立場で、国や東電に対して怒りを覚える。 

 

≪現状≫     

①全町民21000人全てが避難対象で、福島県内70%約14500人、この内仮設住宅(県内30か所)に約3000人、借上げ住宅(みなし仮設)に約4400人、福島県外に30%約6500人(全国44都道府県約600市区町村に広域分散避難)現在も避難指示が継続している。

②避難先を点々と変えざるを得ず、役場機能も1年半で4回移動し、長引く避難生活等による震災関連死は384名を数える。

③放射線量による区域指定(平成25年4月~現在)

A避難指示解除準備区域 0~20msv 面積の9% 被災前人口41% 日中立入可
B住居制限区域 20~50msv 10% 42% 日中立入可
C帰還困難区域 50msv~ 81% 17%  

※AB地区の除染は、25年11月から開始されたが、C地区については計画すら示されていない。  

 

≪復興に向けた計画≫

復興の基本方針

 すべての町民の暮らしを再建する~どこに住んでいても浪江町民~

 ふるさと なみえを再生する~受け継いだ責任、引き継ぐ責任~

 被災体験を次代や日本に生かす~脱原発、災害対策~

浪江町復興計画【第一次】(平成24年10月策定)復興ビジョン実現のための具体的取り組みをまとめたもの。

まち・ひと・しごと創生浪江町総合戦略(平成28年3月策定)

浪江町復興計画【第二次】(平成28年度に策定予定)

復旧・復興の道筋は、平成28年3月、有識者による検証委員会が平成29年避難指示解除を想定してそれまでに実現すべき16項目を提言、町は平成29年3月までを復旧実現期と位置づけて、【人の復興】として、県外・県内各地域居住者への継続的な支援など全町民の生活安定の実現を目指している。【町の復興】として、除染やインフラ復旧の本格実施、町内での復興拠点への住宅・生活関連サービスの集約整備などふるさとの再生の本格化を目指している。また、平成29年4月~平成33年3月を本格復興期と位置づけて、全町民の幸せな暮らしの実現とふるさと再生の実現を目指している。

 

≪復興に向けた現状≫

除染・災害廃棄物 除染は宅地48%、農地37%、森林(宅地より20m以内)75%、道路68%となっている。災害廃棄物は28.9万tにのぼり、可燃物は仮設焼却施設で減容化し29年度に処理完了予定。

インフラの復旧 上水道は、平成29年3月までに津波被災区域を除き全配管復旧予定で、下水道は避難指示解除準備区域で復旧予定。道路は、常磐自動車道が一部1車線ながら全線開通。町内の道路は帰還困難区域を除き平成29年3月までに8割程度復旧見込み。なお、帰還困難区域は28年度災害査定見込み。鉄道は、浪江以北は平成29年度春に再開見込みで、浪江以南は32年春に全線開通見込み。

産業の復興 2次3次産業は、被災前の事業所(約1000)すべて営業中止、平成25年7月に2事業者が事業再開、平成28年4月現在21事業者が町内で営業中、28年10月に10店舗程度の役場敷地内の仮設商業施設を作る。なお、事業者の営業再開率は商工会加盟の626社中町外を含み36%となっている。

産業の再興 1次産業は、農業について平成26年度より、水稲の実証栽培を開始し、全量全袋検査で異常なく27年度より販売開始。花卉は平成26年度より、トルコキキョウやリンドウの実証栽培を開始し、市場出荷。17行政区で11復興組合が活動中。漁業については、請戸漁港へ28年度中に漁船が帰還できる見込みで30年度には漁港全体が完了予定。

住まいの再建 町外整備公営住宅が約2500で入居決定が1233、入居開始が256となっている。また、町内には町内2か所に災害公営住宅を約100戸、公的賃貸住宅を80戸再生整備予定。

 

健康管理 放射線による健康被害の未然防止、健康不安の軽減のために平成24年4月に町独自にホールボディカウンター導入をはじめ、全町民に放射線健康管理手帳を交付、甲状腺検査、バッジ式積算線量計の貸出など独自の取り組みを進めている。

 

学校教育 発災時の町内6小学校・3中学校に約1700人が避難先の全国350小学校・220中学校に約1340人就学している。二本松市で再開した小中合わせて28人が在学している。平成29年4月町内で小中一貫校及び子ども園の再開を目指している。

つながりの維持 復興支援員制度を設け7県に26名を配置し戸別訪問などのきめ細かい支援をし、県内にコミュニティ支援員を置いた3か所の交流館を開設して県内外で交流会を開催している。また、広報なみえに綴じ込んだ「浪江のこころ通信」発行やタブレット端末を活用した「なみえ新聞」を発行して、「きずなの維持」を図っている。

復興まちづくりの考え方 平成27年9月のアンケートによる町民の避難指示解除後の帰還意向は、
  戻りたい17.8%(すぐに33.7%、いずれ58.7%、無回答7.6%)
  判断つかない31.5%、戻らない48.0%、
  無回答2.7%
となっている。町は「復興まちづくり計画」(平成26年3月策定)避難指示解除後の当面の町内人口想定を25000世帯5000人(町外と2地域居住する世帯を含む)とした。浪江町全体の復興拠点を現在の避難指示解除準備区域として、段階的に西方へ整備地域を拡大していく。

当面、復興拠点の中心に浪江町役場とし、住まいや生活の場、働く場や交流の場を設けコンパクトに整備していく。

復興まちづくりの目指す姿 「双葉郡北部の復興拠点を担う」

・原子力に依存しない、エネルギー地産地消のまちづくり:再生可能エネルギーを活用し、少ない電力を効率的に利用(スマートシティ)

・新しい農林水産業のデザイン:既存の農林水産業の再生・先端技術を活用した花卉や施設園芸の導入・ロボットを活用した新しい農業スタイルの実証・CLT(直交集成板)などの新技術の導入‥‥‥など。

・防災対策・防災研修拠点、防災ロボット開発拠点をはじめ、原子力災害の教訓知見の継承・世界へ発信するためのアーカイブ拠点を目指している。

・国の「イノベーション・コースト構想」とも融合するまちづくりを通して、双葉郡全体の復興に寄与する
 

【所感】

①東日本大震災から5年2か月が経過し、マスコミ報道等が少なくなっている中で、復旧復興に向けて多忙な中で視察を受けれ頂いたことに感謝申し上げたい。また、役場までの車中から見た町の様子は、5年余り手つかずの街並みの様子や除染中という黄色い幟旗の立った土地、フレコンバッグが高く積まれた場所などおおよそ復旧復興には程遠い印象は否めなかった。

②発災時の情報混乱や情報途絶の中での住民避難は困難を極めたことは想像に難くない。特に、国や県、東京電力に対する怒り、原子力通報連絡協定が無力だった点には我々もUPZ30㎞圏内の住民を抱える自治体として他人事ではない。

③津波被災については、請戸地区には小学校があったが毎年の訓練により、後方の高台に避難して犠牲者を出さなかった点は参考にすべきである。現地を見たが建物の3階部分まで津波が押し寄せた形跡があり、周囲の木造家屋は基礎だけになっていた

④除染について、面積の81%を占める帰宅困難区域については、全く目途が立っていないようで街づくりにも大きな影響を与えている。汚染度尾一時保管場所や中間貯蔵施設など課題は多い。

⑤住民の健康管理やコミュ二ティ形成への努力が感じられたが、機関についての住民のアンケートにも表れている通り、発災当時の人口約21,000から約500人の帰還を想定した計画でスタートせざるを得ず、ここにも原発事故の影響が表れている。

⑥現在、環境省の除染作業や東京電力の片付け作業員約4,000人くらいが日中に働いていたが、平成29年3月に避難指示解除された後、役場本所機能の移転など職員の方々の苦労はますます大きくなってくると考える。復興の基本方針、被災体験を次代や日本に生かす~脱原発、災害対策~を全力で進めてほしいと考えるとともに、見守っていきたいと思った。

⑦最後に、「熊本地震にお見舞いを申し上げるとともに、東日本大震災を風化させないで欲しい。更に、そのような危険な状況で川内原発の再稼働路許している国や自治体に対して『東日本大震災を教訓にしていない』と申し上げたい」との言葉に、改めて考えさせられた。


 

【日程】   2016年5月25日(水)午前9時~11時

【場所】   だいJOBセンター (川崎市川崎区駅前本町11-2フロンティアビル5F)

【対応者】  川崎市健康福祉局生活保護・自立支援室担当課長・担当係長・センター長

【調査事項】 川崎市だいJOB(じょぶ)センター 川崎市生活自立・仕事相談センター

【内容】     川崎市生活自立・仕事センター(だいJOBセンター)の概要及び就労支援について -

【センターの概要】
 だいJOBセンターは、昨年4月1日生活困窮者自立支援法が施行されて、平成25年12月に開設。失業等による経済的な問題とあわせて、精神的な問題・家庭の問題・健康上の問題などさまざまな課題を抱えた方を支援する為川崎市が設置する無料の相談窓口で、利用条件は
(1)川崎市内に居住、就労又は就学している
(2)失業等で生活に困っている
(3)生活保護を受給していない
(4)ホームレスではない
要件をすべて満たす方で、事業内容としては、相談者の課題を整理した上で自立への最初の一歩をサポートしながら、専門相談員による窓口・手続きへの同行等きめ細やかな支援により自立をサポートされている。

【相談の状況】
 相談者の支援をセンターでの継続支援と、他機関への連携・引継ぎ等支援類型別に取り組まれていて、センターでの支援では、例えばAさん(男性・40歳代)失業とともに、国民健康保険料の滞納と多重責務を抱える。再就職の支援と同時に、保険料の分割納付手続きの同行、法律相談による多重責務の整理を支援。他機関との連携で言えば、Eさん(男性・60歳代)2年前に退職した後、貯金を取り崩して生活していた。心臓病のため、医師から就労不可と言われる。手持ち金が500円を切っていたため、福祉事務所へ同行等、相談者の状況にあわせた支援を行っている。

【就労支援の状況】
 昨年度の実績は、対象者505人のうち就職者330人、就職率は65.3%で、相談者の段階に合わせた就労支援を行うことで、就職をサポート
①一般就労が可能だが、採用されにくくなってしまっている人⇒平成26年5月から60歳以上の高齢者、ひとり親の父母、長期無業者、刑余者等の専門の求人を開拓する「しごと応援事業(生活困窮者就労支援事業)」を開始。
②希望就職先がなかなか決められない人、就労意欲が減退している人⇒職業紹介権を活かした、職場見学、市内の求人を開拓し、相談者と一緒に職場見学や、採用面接への同行、出勤初日の同行。
③長期間就労から離れていた等段階的な支援が必要な人⇒座学と就労体験を組み合わせた就労準備支援事業、親の介護で長く就労から離れていた人や、就労経験が乏しい人に紹介。
④障害や精神疾患が疑われ一般就労が難しい人⇒病院や行政窓口への同行・手続き支援、障害者総合支援法等の枠組みを利用した就労支援。
⑤定着支援⇒3か月間の定着支援を徹底。・仕事終わりの面接・電話で困っていることや悩みを聞く・求人開拓を活かし、立ち寄った際に会社に就労状況を確認。
     企業支援⇒忙しい採用担当者のフォロー、業務に見合った求職者の紹介。

【支援における川崎市の工夫 】
①入り口の工夫として、「お困りの方、相談に来てください!」では、来ない⇒情報の網を張る。地域包括支援センター・年金事務所・保険年金課・保育園・不動産店等、これまでに困って、相談にこられている窓口での案内。
②出口の工夫⇒独自求人情報の確保として、求職者の能力・意欲・希望条件に応じた求人情報の獲得。企業支援の観点からは、企業に対して、人材の提案、定着の提案、制度の提案。

【所感 】

 約2時間にわたっての視察でしたが、担当者の丁寧な説明、意識や意欲を持った取り組みに大変学ばされました。川崎市も全体としては、2.18%の保護率ですが、区によっては、5.48%と保護率もかなり高い現状の中から、最後のセーフティーネットととしての生活保護制度に行く前の支援を取り組む場所としてのだいJOBセンターの活動ですが、報告にもあるように、相談者の段階に合わせた就労支援ということで、きめ細やかな支援をされています。
 同時に、受け入れ口の確保として、多くの企業を回りながら努力をされています。一方で、企業の方も、業務に見合った求職を求めていることもあり、協力できる条件もあることが伺えました。
 さらに、受託者が「中高年事業団やまて企業組合」という、これまでノウハウを持っているということも特徴でした。担当者の話によりますと、「相談できたことで良かった」という利用者もおられるようです。
 鹿児島市においては、受け入れ企業も含めて課題は、まだまだありますが、川崎市の取組みは大いに学ぶことができました。




2016年06月03日